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三升家小勝 (6代目) : ウィキペディア日本語版
三升家小勝 (6代目)[みますや こかつ]

6代目三升家 小勝(みますや こかつ、1908年8月3日 - 1971年12月29日)は、東京出身の落語家。本名、吉田 邦重。生前は落語協会所属。出囃子は『井出の山吹』。通称「右女助の小勝」「糀谷の師匠〔東京市蒲田区糀谷に住んでいたことから(立川談志著、田島謹之助写真 『談志絶倒 昭和落語家伝』 大和書房、2007年、183頁より)。〕」。夫人は舞踊花柳一衛
== 来歴・人物 ==
神田錦町の電機学校(現:東京電機大学)卒業後、東京市水道局(現:東京都水道局)に勤務し金町浄水場の技師を務める。当時の落語家の中では珍しいインテリ出身であり、協会の幹部候補だった。
1930年3月、叔父の友人「中村さん」の紹介で、曲芸春本助次郎を通じて8代目桂文楽に入門。文楽の「文」と中村の「中」から一字ずつ取って「桂文中」と名乗り、常磐亭で初高座。1931年3月、「桂文七」で二つ目に昇進する。1936年5月にキングレコード専属となり、最初の吹き込みレコードを発売。このレコードに収録された自作の新作落語『水道のホース屋(のちの『水道のゴム屋』)』がヒットする。1937年(昭和12年)5月、「2代目桂右女助」を襲名、真打昇進。明るくスマートな芸風で、高座でもレコードでも人気を博す。
太平洋戦争中2度応召に遭い、寄席の高座やレコードの吹き込みも中断された。戦後も新作落語を高座にかける一方、古典落語にも力を入れ、3代目三遊亭金馬2代目三遊亭円歌と並んで「両刀使い」と称された。
1956年3月、「6代目三升家小勝」を襲名。襲名披露興行中の1956年4月、右手にしびれを感じて軽い脳溢血に陥る。東宝演芸場での襲名披露には半分の日程を残して出演できなくなり、落語家として致命傷というべき言語障害に苦しむ。必死のリハビリの末、同年6月に高座復帰するも、右女助時代の気力と体力を取り戻すことはできず、師匠・文楽が1971年12月12日に没してからわずか17日後の同月29日、後を追うようにして死去。享年63。墓所は谷中佛心寺戒名は「慈観院楽説日勝居士」。
生前は、坊野寿山を師匠とする落語家の川柳の会「鹿連会」にも参加していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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